超ざっくり!仏教と神道

こんにちは。

 

突然ですが、神社の違いを人に説明できますか?

寺は仏教側で、神社が神道側?

では、仏教神道っていったいなんなの?

どう違うの?

 

日本人が漠然としかわかっていないこの内容について、

非常にざっくりと流れを説明していきたいと思います。

 

 

仏教は、むかーしむかしインドで生まれました。

その仏教は、国が国民をまとめやすいような考え方などを含んだりし、

少しづつ変わっていき、中国、朝鮮、日本へとやってきました。

 

当時、中国は日本からすればとても進んでいた国であったので、

中国に見習おうと仏という考えを取り入れ始めました。

この時は、今まで大切にしてきた神社を寺の中に入れて、

あたかも仏が日本の神を守っているかのような感じでした。

 

しかし、中国のものを取り入れるだけでは自国のアイデンティティというものを

見失ってしまうかもしれません。

また、この時はまだそれ以前から考えてきた神様というものについても整理がついていませんでした。

 

そこで、奈良時代古事記というものを作りました。

誰でも一度は学校で習ったと思います。

これは何についての話かというと、

昔神様が天から降りてきてどのように日本ができたのか

ということを書いた神話です。これが神道のルーツです。

 

これを作ることによって、信仰の対象となるものができました。

しかし、中国で機能している仏教とは違い、まだその思想であったり、

その機能というものはしっかりとは理解できていませんでした。

そのため、この時期に日本から中国に使者を送り、本場中国で勉強してこさせ、

それを日本に持って帰らせました。

 

さて、古事記を作る前は仏が神の上の存在という認識となっていました。

しかし、実際、それはまずいのではないかということで、

神は仏がこの世に降りてきた化身であるとすることにしました。

徐々に、神と仏が同等のものであるという認識に変わっていきます。

その後、だんだんとやっぱり日本古来の神様の方が仏より上だよね、

という考え方までに至るのです。

 

とはいっても、仏教は長い時間をかけて練られているので、

生と死についてのしっかりとした思想があったりと、

人々は自分たちの疑問を問いかける対象にしていきました。

ただ、乱世に入り、仏教信者が徐々に力をつけてきたころ、

仏教を弾圧する力が働き始めました。

神道は仏教の良いものをどんどんと吸収していきました。

 

ただ、これは長くは続かず、

そこで新しく儒教というものが入ってきたのです。

これを取り入れた理由としては、年功序列の思想を含んでいたりと、

トップの人間が人々をまとめやすいという理由が大きいのです。

これを取り入れたのが、あの徳川家康です。

 

時代はどんどんと流れていきます。

儒教を用いて納めていましたが、徐々に外国への恐怖というものが高まり始め、

ナショナリズムとして神道が再び流行るのです。

国として一つにまとまるために、神道を主軸に天皇を中心とした国家づくりというものをはじめていき、この時に神道と仏教は初めてしっかりと分けられたのです。

 

これらはちょうど世界大戦頃の話です。

戦後GHQが日本に渡ってきて、今までの日本を分析した結果、

神道中心の国家づくりを抑えさせていったのです。。。

 

長々と書いてきました。

う~ん。わかるようなわからないような、わからないぃ!

 

今回書いたことは多くの間違いを含んでいるかもしれないことをご了承ください。

 

ただ、ここまで見てきて

神道と仏教は何かはっきり分かれているものではないということがわかりました。

互いに時代を共にし、時には片方が主流になったり、はたまた別の時代には一方がメインになったり。

また、ただ単に考え方だけではなく、

人々をまとめやすいかどうか、ということも大きなポイントであったということもわかります。

 

なかなか入り組んでいて複雑ですが、

もう少し様々な本を読み、徐々に理解を深めていけたらと思います。

 

今回はひどい文章を長々と連ねてしまい申し訳ありませんでした。

では。。。