「近代日本一五〇年」を読んで
こんにちは!
今年も受験シーズンがやってきました。
ひとまずセンター試験お疲れ様です。
受験生は今までやってきたことに自信をもって全力を尽くして
二次試験そして私立試験に向けて頑張ってください!
さて、前回は触れられなかった内容について書かせていただきたいと思います。
鎖国制度の廃止以降、日本はかつてないほど急速に発展していきました。
そのようなことができたのはなぜだったのでしょうか。
一つ目にはタイミングであると本書では述べられています。
日本が近代化を進め始めた時期、欧米では科学技術というものが発展したばかりであったため、日本は他国がやっていたような試行錯誤の時間を経ないままこれらの技術を取り入れることができたということです。
50年早い、もしくは50年遅かったらこのような発展は遂げることはできなかったでしょう。
二つ目には他国に負けずに利益を生み出すほどの労働力であります。
例えば製糸工場。当時19世紀後半以降、富岡製糸場が有名なように製糸業がかなりの利益を日本にもたらしていました。しかし、これらは女工たちの膨大な労働の上に成り立っていました。その労働環境は過酷を極めており、11時間労働を二セット、すなわちほとんど一日中工場を稼働させていたということです。
皮肉にもこのようなことを可能にしたのは、海外から入ってきた新しい機械、そして火を使わない燃える心配のない電燈の発明であったといいます。
科学技術の進歩は資本家にとっては利益をもたらしますが、労働者には必ずしもそうではないということに気づかされます。
さて、本書では山本先生の幅の広さ故、科学や大学のあり方についても時代によって少しずつ変わっているということが述べられています。
現在、「科学技術」という言葉はあちこちで用いられますが、「科学」と「技術」の意味がそれぞれ意識して用いている方は多くはないのでしょうか。
本来、科学と技術は全く異なるものでありました。
科学というのはどちらかというと哲学的な自然観を指していました。
しかしその後、産業革命以降さまざまな技術が発展していく中で科学というのは、
国を豊かにする技術を生み出す手段のような認識のされ方をしはじめ、
それは日本においてもそうでした。
つまり、科学が実学へとつながることが期待されるようになりました。
これは本来の科学とは異なったものとなっています。
現在でもしばしば理学は役に立つのか?と問う人がいます。このような質問についてどう思われるでしょうか?
「素粒子のそんな性質がわかって何になるの?」
「ブラックホールがについてわかってもしょうがなくない?」
などなど、、
理学をやっている人からすればこのような質問にうんざりしているかもしれません。
そこで話はそれますが、これらの質問が的を得ていないという理由をいくつか述べたいと思います。どんな返答をすればいいのだろうか。
一つには、
「そんなの知らねーよ。好きでやってんだよ!」です笑
基本的には理学系の科学者の本音はこれであると思います。
「好きでやっている」、充分な解答ではないでしょうか
そうでないとすれば、そもそも役に立つということはどういうことかということを考えてみればよいと思います。
わかっていなければならないのは、実学に近い工学、そして理学はお互い役割が違うということです。
ただ、工学の方がイメージしやすく一般の人にもどのように使われるのだろうかということが理解しやすいという点で役に立つといわれているのでしょう。
どこかでこのような言葉を聞いたことがあります。
「今、役に立つものは、すぐに役立たなくなる」
つまり「役に立つもの」というのは たかが知れているということです。
(全く批判しているつもりはありません。理学の役割について以下でわかっていただけるように少し強めに述べている、という点に留意していただきたい)
役に立つと思われているものは、現在知っているものの範囲で想像できるようなことであり、
大きなブレイクスルーとなるようなもののほとんどは基本的に何に役立つかわからないようなものから出てきたものばかりです。それは歴史を振り返ればすぐにわかります。
今無いものであるのだから役に立つかどうか判断できるはずもないのです。
かつて電磁気学の理論が完成されて、人々はそれが何かの役に立つと考えたでしょうか?(今では通信、電気、あらゆるところに応用されています。)
アインシュタインが相対論についての成果を出した際はどうでしょうか。(物理ではこれを考慮しないと理解できない現象はいくらでもある。それでも、役に立つものを言えというならば、GPSなどにも応用されている、などと言えばよいでしょうか。)
長くなってきましたので、最後にまとめに入ります。(まとまってない笑)
これはささいな問題ではありません。
現在の日本では役に立つもの(正確には、すぐに役に立つとわかるもの)ばかり重視され、国からの研究費の予算などもそのような研究ばかりにまわされていて、
基礎研究の重要性を理解されている人たちがとても少ないように感じます。
ここ例年、科学の分野でノーベル賞受賞者が何人も出ていますが、ノーベル賞を取った先生の多くは基礎研究の重要性を訴えていることにも注目していただきたい。
基礎研究に重きを置かなくてもある程度はうまくいくかもしれません。
しかしどこかで行き詰ってしまうのでしょう。
最近の日本の科学、そして技術レベルの停滞ぶりはこの行き詰まりを表しているのではないでしょうか。
ほとんどの分野で出遅れてしまっている日本ですが、何か大きく変化しないと
他国に取り残されて追いつけないところまで来てしまっています。
私には何ができるであろうか。
私も将来を担う若い世代の理系として心引き締まる思いであります。
読んでいただきありがとうございました。
この本を最後まで読み終えてからもう一度投稿したいと思っていますので、次回もよろしくお願いします!!